2024年6月16日、NPO法人放射線教育フォーラムによる「令和6年度第1回勉強会」が東京慈恵会医科大学(東京都港区)の髙木2号館南講堂で開催されました。約1年ぶりの対面形式の実施でした。今回の勉強会のテーマは「放射線の理解を深めるための授業について考える」で、物理学者によるSNS社会での正しい科学的情報の効果的な発信についての研究内容をはじめ、私たちの身の周りに存在する放射性核種についての科学的な解説や、名古屋の高校の先生が取り組む「面白い」を重視した放射線授業の話題が提供され、質疑応答や意見も活発に交わされていました。
■SNSが普及した現代社会で情報を届けるには
物理学者の鳥居寛之さん(東京大学大学院理学系研究科准教授)は、素粒子などの研究のほかに、科学的な情報を社会に伝えるコミュニケーションの研究にも取り組んでいます。今回の勉強会では「SNS時代の放射線リスクコミュニケーション」と題し、SNSの普及で誤情報が氾濫する現代社会において科学的な情報が正しく伝わりにくい原因を説明し、その上で解決策を提案しました。
鳥居寛之さん(東京大学大学院理学系研究科准教授)
2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生したとき、放射線に関するリスク情報が数多く発信されました。安全と危険が対立するように発信されたことから、社会的な混乱も生じました。鳥居さんらが当時のTwitter(現X)で流れた情報を分析すると、「特に普及しつつあったSNSでその対立の傾向が顕著だった」とのこと。また、研究の中で、SNSは情報拡散のスピードが速く、新聞やテレビなどの報道よりも早いタイミングで少数のオピニオンリーダー(いわゆる「インフルエンサー」)から発せられた情報が瞬く間に広がることも明らかになったとのことでした。
現在、SNSは広く利用されるようになり、情報伝達の一つの有力なメディアになっています。鳥居さんの話によれば、新型コロナウイルス感染症のパンデミックのときも、福島第一原子力発電所事故と同じような対立や分断、誤情報の拡散が見られたそうです。鳥居さんらは、実データやシミュレーションを用いて、ユーザーが自分の信じたい情報の殻に籠りやすい弊害がネット上でいかに生じるのか、あるいはネット社会における分断・対立と情報の拡散がどのように進んでいくのかも研究。さらに、科学的な情報発信を続けた当事者のインタビュー調査などをもとに、誤情報を食い止めて正しい情報を広く届けるための効果的な方策についての提言もまとめています(https://radiation-sns.com/)。
鳥居さんは「放射線教育も重要です。特に若い世代に教えておくことが大切で、小さいときに習ったことは知識の下地になります」とも訴えていました。ご自身も、東京大学で放射線の講義シリーズを立ち上げるなど、研究だけでなく教育にも力を注いでいるとのことでした。
質疑応答の時間になると、会場から「子どもたちへの放射線教育は何歳ぐらいから可能だと思いますか?」という質問に、鳥居さんは「福島県環境創造センター『コミュタン福島』で小学生1年生に放射線を教えるところを見たことがあります。小さくても教えることはできると思います。また、福島第一原子力発電所事故や新型コロナの経験を経て、日本人もリスクをゼロにできないということを学びました。今の時代なら放射線にかかわるリスクについても教えやすくなっているのではないでしょうか」と話していました。
放射線に限らず、現代社会の中で科学的な情報を伝えるときに必要な方法や工夫についてのヒントが多くある話題提供でした。
■どうして私たちの身の回りに放射性核種が存在するのか
二つ目の講演では、放射線教育フォーラムの理事長で京都大学名誉教授の柴田誠一さんが、私たちの身の回りにある放射性核種の由来について解説しました。
柴田誠一さん(放射線教育フォーラム理事長・京都大学名誉教授)
柴田さんは、京都大学原子炉実験所(現: 京都大学複合原子力科学研究所)に在職していたときのエピソードから話を始めました。2007年7月に中越沖地震が発生したとき、ある一般の方から「大阪熊取地区の環境放射線レベルが上昇しているが、これは地震との因果関係があるのか?」という問い合わせを受けたとのこと。柴田さんが熊取地区について調べると、地震があった日に集中的な降雨があったことがわかり、地震との因果関係はないと判断したそうです。
雨が降ると大気中の放射性核種が雨とともに地表に落ち、空間線量率が地表付近で一時的に上昇することが知られています。過去のデータを見ても雨が降ると空間線量が高まるという相関関係も明らかだったそうです。目には見えない放射性物質が身近にあることを経験的に感じられる出来事を話しながら、柴田さんは「では、どうしてこの大気中に放射性核種があるのでしょうか?」と問いかけるように詳しい説明を始めました。
宇宙線と大気との核反応により生成している放射性核種としては、トリチウム(3H:半減期 12 年)、ベリリウム-7(7Be:半減期 53 日)、炭素-14(14C:半減期 5730 年)などがあげられます。それに加えて、地球誕生時から存在しているウラン(238U:半減期 45 億年・235U: 半減期 7 億年)、トリウム(232Th:半減期 140 億年) 、カリウム-40 (40K:半減期13億年)などの天然一次放射性核種もあります。 さらに、それらが壊変することで生成される天然二次放射性核種もあります。「親核種である 238U、235U、232Th が存在する限り常に天然二次放射性核種が環境に供給され続けるため、これらが環境中に存在する放射性核種の大部分を占めます」ということでした。
柴田さんは、我々の身の回りにある元素がどのようにつくられたのか、その起源についても解説。話は、宇宙や46億年前の太陽系の誕生にまで広がり、軽い元素から重い元素が合成されていく過程をていねいに説明。「元素は星の中での核融合でつくられ、それが宇宙空間に拡散され、それらが集まると次世代の星が誕生します。我々自身の体を構成している元素もこの過程を経てつくられたものです」と柴田さん。身近な放射線から始まり、最後は宇宙の不思議を感じる壮大な話で締めくくる印象深い講演でした。
■「わかりやすい」ではなく「面白い」授業を
三つ目の講演では、高校で理科教員を務める大津浩一さん(名古屋経済大学市邨高等学校中学校)が実践事例を紹介しました。
大津浩一さん(名古屋経済大学市邨高等学校中学校 教諭)
大津さんは、「大切」だからという動機付けだけで放射線を生徒に学習させても、教育効果はあまり期待できないと語ります。「面白さ」を前面に出し、生徒の直接体験を重視することが大事で、放射線の学習を通して一般的な知識や他分野との統合も意識した授業づくりが重要だと説きます。
初学者に近い高校1年生に教えるときは「霧箱がとても有効で強力アイテムになる」と大津さん。そして、知り合いの林熙崇さん(名古屋大学基本粒子研究室客員研究員)が開発した「林式高感度霧箱」を紹介しました。これは単純な構造ながら、身の回りにある自然放射線を観察できる感度を有するとのこと。授業では、自然放射線だけでなく、安全性に配慮しながら、クルックス管で発生させたエックス線の飛跡も観察させるそうです。すると、生徒たちは霧箱をクルックス管から離すほどに飛跡の量が減っていくことを経験的に知り、線源から離れるほどその影響が急激に減っていくことを直感的に理解できるとのことでした。
「実際に何かを見て感じるという経験をして感覚的に理解することが重要だと思っています。計測器や霧箱、クルックス管などの道具を使って、生徒が『自分で観察した』と思えれば、教員の話を面白がって聞いてくれますし、自然放射線の存在も認識するようになります。科学的あるいは体系的に理解するだけでは生徒はあまり実感してくれません」と大津さんは話します。
大津さんはさらに二つの授業事例を紹介しました。どちらも高校3年生の「物理」選択者が対象の授業で、令和4年度と5年度の放射線授業事例コンテスト(公益財団法人日本科学技術振興財団主催)で受賞した実践事例です。初学者向けではなく、理系進学希望者向けに対する授業の紹介はあまり見られないため、貴重な報告となりました。
「私は、授業というのは総合芸術だと思っています。だから、いろいろな方法や道具を取り入れて、それで生徒が食いついてくれれば、それで良いと思っています」と語る大津さん。受け入れられやすい授業の形を模索するよりも、楽しみにされる放射線教育が重要だと強調しました。
質疑応答の時間になると、会場の参加者たちとの間でさまざまな対話が始まり、その中で大津さんが学校の教育と科学館の教育の違いについて触れる場面も見られました。「高感度の霧箱は科学館にもありますが、科学館は主に科学に興味をもっている人が行くところです。学校では科学に興味がない人にも教えることができます。そういう意味で、無理やりに何かを見させて、経験させて、『面白い』って思ってもらうのが学校教育では大事かなと思います」と、生徒たちに積極的に働きかけることの重要性について指摘していました。
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