第25回
放射線測定におけるバックグラウンド
理事長
下 道國
わたしたちは、日常で「バックグラウンド」という言葉をよく使っているのではないでしょうか。例えば、「私のバックグラウンドは〇○○です」というように。放射線の場合、例えば、福島第一原子力発電所事故で環境に出た放射性物質による線量を評価するとき、「バックグラウンドの値」はどれほどか、ということを知っていなければ正しい評価をすることができません。この「バックグラウンドの値」は状況によって異なりますので、今一度、整理しておきたいと思います。
福島第一原子力発電所事故では、ヨウ素、セシウム、ストロンチウム、銀など多くの放射性同位元素が環境中に放出されました。放出直後は、半減期が8日と短いヨウ素(I-131)が大量に出ましたが、それが甲状腺に与える影響は大きいため、ヨウ素による線量がどれほどになるのか大いに関心が集まりました。しかし、線量はヨウ素以外の元素からの寄与もありますので、それによる分を算定しなければなりません。このヨウ素以外からの寄与分が「バックグラウンド」となります。エネルギー分析や半減期の測定からヨウ素と他の元素の濃度がわかれば、バックグラウンドを差し引いたヨウ素だけによる線量が決まります。
事故直後から、地表面に沈着したセシウムをはじめとする放射性同位元素からのガンマ線による線量が注目されました。多くの地点で測定された値が報告され、また多くの場所にモニタリングポストが設置されました。それらでは「µSv/h」(1時間当たりのマイクロシーベルト)の値が表示されています。報告書などで、バックグラウンド値も併記されている場合は、事故による寄与分がどれほどか判断できます。しかし、モニタリングポストではその場その時の値が表示されているだけで、それにはバックグラウンド分も入っていますから、事故による寄与がどの程度なのかわかりません。
この場合のバックグラウンド値には、自然放射線として評価されているガンマ線の寄与があります。それはウランやトリウムの両系列に属する鉛、ビスマス、タリウムといった放射性同位元素からのガンマ線です。この他に、過去の大気圏内核爆発実験で生まれた人工起源のセシウムによる分も入ってきます。セシウム(Cs-137)は半減期が30年と長く、まだかなり残っています。その他、数量的には微々たるもので、生活上では留意する必要はありませんが、バックグラウンドとしては、それ以外の元素からの寄与もあります。
福島第一原子力発電所事故では、原子炉が冷却されずに溶融して破壊されたため、燃料中に生成されていたプルトニウムも放出されました。この場合も、過去の核実験で放出されたプルトニウムが、バックグラウンドとして存在します。現在まで定期的に実施されている全国のモニタリングのデータから、プルトニウムのバックグラウンド値を知ることができます。それを参照しながら事故によるプルトニウムが評価されていますが、放出されたプルトニウムの量がそれほど多くなかったことで、数値の確定は容易でなかったと思われます。
現在、福島第一原子力発電所事故の放射線学的評価(線量や元素濃度の評価)は、ほぼ固まっていますから、今後の日常生活では、屋内外の空気中に存在するラドンによる影響の議論が再開されると思われます。その際に問題となるのがトロンです。トロンはラドンと同じ元素の同位体(トロンはRn-220、ラドンはRn-222)です。広義にラドンという場合は、両方を含みますが、通常、これらは使い分けています。二つの同位体を区別せず、ラドンだけとして扱うと、ラドンによる線量を過大に評価してしまう場合が出てきます。この場合は、言わばトロンがバックグラウンドになりますから、その値を知ることは重要です。なお、トロン濃度の高い場所では、トロンの影響評価も重要となりますから、その場合には、トロンがラドンのバックグラウンドになることはなく、両方を評価することになります。
大地から出てくる放射線は、土砂災害とか洪水などによって地表面が大きく変化しない限り、通常、変化はなく、それによる線量はほぼ一定です。しかし、降雨・降雪の直後では、雨や雪に放射性物質が含まれていることが多いため、線量が大きい値になることがしばしばありますので、要注意です。
それに対して、大気中に存在する放射性同位元素は、晴雨に関係なく、気候や気象条件によって短時間に大きく変化することがよくあります。ラドン(Rn-222)とトロン(Rn-220)の物理学的半減期は、それぞれ3.8日と56秒です。このように半減期が大きく違う場合では、大気の状態や地表面からの高さなどにより、大気中のラドンとトロンの存在比率は変化します。したがって、トロン濃度が低くて測定できないことを理由に、既知の比率でバックグラウンドとしてのトロンを推定することは無理です。ラドン・トロンに限らず、他の元素の組み合わせでも、このような手法を使うべきではないでしょう。
以上のことから、目的とする線量以外の線量、目的とする元素以外の元素からの放射線は、全てバックグラウンドになることがわかります。評価対象となる線量や元素が、福島第一原子力発電所事故と無関係の時は、事故由来の線量や元素が、バックグラウンドとなることは言うまでもありません。測定では、常にバックグラウンドに気を配ること、また濃度や評価値にバックグラウンド値が紛れ込んでいないかといった注意が、必要でありかつ重要です。
バックグラウンドを知ることで、物事の奥行きの深さを知ることにもつながります。放射線教育を通じてバックグラウンドを学ぶことは、児童生徒にとって大変意義深いものだと思います。