ふるさと米への思いを深めながら学ぶ放射線
=風評被害を知ることが郷土愛につながっていく=
令和元年11月15日、湯川村立笈川小学校(福島県河沼郡)において、5年生が「総合的な学習の時間」に4月から取り組んだ学習の成果を県内外の人たちに発表した。授業のテーマは「湯川米のおいしさの秘密をつたえよう」。子どもたちは「秘密」という言葉に風評被害を乗り越えた郷土への思いを込めていた。
湯川村立笈川小学校(福島県河沼郡)
明治6年(1873年)に創立された伝統校。140年以上、地域の子どもたちがここで学び育った。現在は新しい学習指導要領の下、家庭や地域と連携して「郷土愛、湯川愛」を育んでいくことを重点に置いた教育に取り組んでいる。令和元年度、福島県の「地域と共に創る放射線・防災教育推進事業」の実践協力校となった。
この小学校がある湯川村は、すり鉢状に広がる会津盆地の中心に位置し、その平地には田んぼが広がる。周りの山々から流れ込む水と肥えた土で育てられた「湯川米」は、会津地方では美味として知られている。
■子どもたちにここで何があったのかを伝える
東日本大震災から9年近くがたち、小学校では震災後に生まれた子どもが多数を占めるようになった。震災の前に生まれた高学年の児童も、幼すぎて当時のことは覚えていない。記憶が遠ざかるにつれて、放射線教育の必然性が見えにくくなる。特に、会津地方は事故が起きた原子力発電所から遠く離れ、直接的な影響がほとんどなかった。笈川小学校の髙原昇校長は「震災が起きてすぐのときでも、『南会津で放射線教育をする必要があるのか』という保護者の声の方は多かったんです」と打ち明ける。
笈川小学校 髙原昇校長
「報道などで、県外に避難した福島の子どもがいじめられていると報じられるようになりました。南会津の子どもも県から一歩出たら『福島県から来た』となり、『放射線がうつるから来るな』などと理不尽なことを言われるかもしれない。でも、そう言われたとしても、「違うよ、放射線はうつらないんだよ」としっかり伝えることができるだけの知識を身につけさせることが、私たち教員や大人の使命なのではないか。そう考えて、放射線教育の必要性を保護者に訴えて、当時は懸命に取り組んでいたんです」(髙原校長)
ただ、今、放射線教育のあり方が問い直されていると髙原校長。
「あれから9年、放射線教育の何が今大切なのか。今年度(令和元年度)、本校が実践協力校となり放射線教育に改めて取り組むにあたって、私たち教職員はそこをもう一度考えることから始めました。そのとき『やはり我々は福島県人であるということから出発しよう』『この東日本大震災、福島第一原子力発電所事故を決して風化させてはいけない。伝えていく義務がある』と確認したんです。ここの地域は事故の直接的な影響はほとんどありませんでしたが、風評被害といったらすごかった。このことは決して忘れてはなりません。子どもたちにしっかりと何があったのか、事実を伝えて、その中で放射線の知識を子どもたちに教えていく。これが一番大事ではないかと教職員で再認識して、今必要な放射線教育を模索しながら取り組んできました」(髙原校長)
■調べていく中で風評被害の実態を理解する授業
公開されたのは5年生の授業。1年をかけて郷土について学ぶ「総合的な学習の時間」の中の1時間。全体のテーマは「湯川のよいところをみつけよう」で、先生の指導の下、子どもたちが自ら地域の良さを見つけて学習を進めていく。特徴的なのは、その過程で放射線も学んでいくところ。「学習活動を単なる点の集合ではなく、一つの線にしてストーリーにしていくんです」と髙原校長。
児童の能動的な意欲を引き出すアクティブ・ラーニング型の授業を通して、子どもたちは湯川村の基幹産業である「米」について、実際に稲作を体験しながら、いろいろと調べていったとのこと。その過程で風評被害がこの地にもあったことを知り、放射線についての学習へと展開していったという。
今回の発表は、一つの山場。これまでに学習した成果を県内外の人たちに伝え、次の課題を見つけてさらに学習を進めていく。
発表の様子
■専門家を招いて放射線について学ぶ
午後1時50分。あいさつの後、「湯川村の有名なところについて発表します」という児童の第一声から授業が始まった。まず、4月の授業で描いたというイメージマップを使って、この地域の名所旧跡や村のゆるキャラなどを紹介。そして、湯川村の一番の名産は米であると説明しながら「私たちはこの『湯川米』についてもっと調べたいと思いました」と続けた。
発表の資料
子どもたちが協力して湯川米について調べたことを発表。その中で、一人の児童が「このとき、農家の人に話をいろいろと聞いたのですが、東日本大震災で原子力発電所の事故があり、湯川米が売れなくなってしまって、とても困ったという話を聞きました」と、学習中の出来事を語った。
どうしてそんな事態になったのかを理解できなかった子どもたちは、放射線についても調べることにした。担任の先生が専門家を招き、そこで放射線の基礎を学習。さらに子どもたちは、湯川村で生じた風評被害についても調査。「農家の方たちに話を聞くと、お米をつくっても『放射性物質が混じっているかもしれない』と言われ、買ってもらえなかったり、買ってもらっても安くされてしまったりしたそうです」と、暗いトーンで話した。
また、「いつも食べてもらっている人からも『全量全袋検査をしているのはわかっているけれど、もし何かあったらどうしようと考えると不安になってしまう。だから食べられない』と言われたそうです」とも。子どもたちは、風評被害が生まれる複雑な実態についても学んでいた。
なお、湯川米の放射性物質調査結果では、これまで一度も検出されていない。(湯川村ホームページhttp://www.vill.yugawa.fukushima.jp/soumu/shinsai.html)
■郡山市で新聞を配布して取材も
この風評被害が生じたときに、国や県、村はどのような対応をとったのか。子どもたちはこのことについても調べた。「国は売れなくなった福島県の米を買い取ってくれたそうです。福島県は田んぼに塩化カリウムを入れて、放射線が米に混ざらないようにしてくれたそうです。村の人たちは、田んぼの土を深く掘って入れ替えたり、収穫した米は全量全袋検査をしたりして、東京に何度も行って『安全性が確かめられている』とアピールしたそうです。このような努力をたくさんすることで放射線による湯川米の不安が少しずつ減っていきました」
子どもたちも、湯川米に対する風評被害についての取り組みを話し合った。いろいろな方法で湯川米のおいしさや安全性を伝えることが大切だという結論を得た。社会科見学で郡山市に行ったときも、湯川村の良いところや湯川米のおいしさについて書いた手づくりの新聞を市民に配った。
最後に、今後も湯川米の良さを伝え続けることの重要さを確認して、全体の発表が終わった。
班ごとの発表の様子
その後、班に分かれて、詳しく調べたことを来場者に説明。来場者からの質問にも対応していた。児童の一人は風評被害の話を農家から初めて聞いたときに「放射線と湯川米の関係がまったくわからなかったけれど、調べてみて『そうか』とわかりました」と話していた。また、別の児童は「本当のことをみんなに伝え続ければ風評被害はなくなっていくので、これからもいっぱい伝えていきたいです」と力強く語っていた。
授業の終わり、担任の先生が「これからどうしたい?」と聞くと、子どもたちはすぐに「もっと伝えたい!」と大きな声で答えていた。次の課題は、自分たちが調べたことを広く発信することに決まった。
■難しい放射線の内容も学んだことで大人と話せた
自分たちの地域のことを知りたい思う子どもたちの意欲を引き出しながら、放射線や風評被害の学びへとつながっていった笈川小学校の放射線教育。この授業を組み立てた担任の五十嵐純先生に感想を求めた。
「今回の授業では、とにかく子どもたちが知りたい、わかりたいと思ったことを調べるようにしました。だから、私から『そこは難しいからやめておこう』とは一切言いませんでした。正直に言うと、放射線の知識は小学5年生には難しかった。未消化の部分がかなり残ったと思います。ただ、そこもあえて挑んでみました。理解できない言葉はたくさんありましたが、それでも子どもたちは頑張って背伸びして大人と話すことで、今まで知らなかったことにいろいろと気づくことができたと思います」(五十嵐先生)
髙原校長は、放射線や風評被害を学んだことが子どもたちの郷土愛を深めたという。 「子どもたちは、この授業で地域のいろいろな人たちの話を聞いて、この地の米に関わる出来事や人々の思いを知っていきました。今回の授業は『湯川米のおいしさの秘密をつたえよう』と題しました。あえて『秘密』という言葉を使った理由は、ここのお米がおいしいのは単に水や土が良いだけではなくて、風評被害などの苦労を乗り越えたんだという自負のようなものも子どもたちは込めているんです。この授業で、子どもたちの意識が回を重ねるごとに変わっていきました。いつも食べている地元のお米がより好きになって、この村のことをもっと好きになっていったようです」(髙原校長)
子どもたちに、この地に風評被害があったことや、放射線の知識があればそれに対応できるということを下級生たちに教えたい気持ちも持ち始めているとのこと。放射線や風評被害を学びながら地域への思いを育み、そして受け継いでいく。そんな授業が会津で始まっていた。
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